オリガ・モリソヴナの反語法

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

敬愛する米原万里さんの書いた小説「オリガ・モリソヴナの反語法」を再読。主人公の志摩は、少女時代プラハソビエト学校に学び、そこで出会った「オリガ・モリソヴナ」というダンスの先生に強烈な印象を得る。時代は下って、ソ連崩壊後、中年となった志摩が「アノ人はどんな人だったのだろう」とオリガ・モリソヴナの足跡を、当時の友人カーチャと追いかける話です。

1960年代初頭、さまざまな国の共産党幹部の子弟が集うプラハソビエト学校。少女志摩の目に映るオリガ・モリソヴナは、一言で言えば、破格の人。70歳、80歳にも見える顔に派手な化粧を施し、1920年代のファッション。しかし、その体型はあまりにも完ぺきで美しく、どんなダンスでも完ぺきにこなす。生徒達にさずける踊りのレッスンは…フランス語なまりのロシア語。吠えるようなだみ声。何より特徴的なのは、「そこの驚くべき天才少年!まだご自分の才能にお気づきでないね!」と派手にほめ、ほめ倒して罵倒する。これがオリガ・モリソヴナの反語法。ちなみに「オリガ」が名前で「モリソブナ」が父称。ロシア語で名前-父称で呼ぶときは、敬意が込められます。

校内をイキイキと闊歩する怪人オリガ・モリソヴナ。どうみても不釣合いなほど優雅で上品な彼女の友人エレオノーラ・ミハイロヴナ。しかし、この2人の行動には謎がありました。学芸会の日、来賓でミハイロフスキー大佐というソ連の武官がやってきます。おびえるエレオノーラ、「アルジェリア」という言葉に過剰反応するオリガ。大佐もオリガとすれ違いざま転倒し、その三ヵ月後に心臓発作で死亡。

「あれは一体なんだったのだろう」という少女時代の疑問が紐解かれるソ連崩壊後92年のモスクワ。
オリガ・モリソブナの謎の中心となる1930年代のスターリン時代。そして強制収容所ソ連のあまりにも暗い時代の話がつづられます。

感銘を受けた点は次の2点です。

踊りを志し、結婚し、子どもを生み、離婚し、踊りに挫折し、ロシア語翻訳者となった42歳の志摩が、その積み重ねてきた経験と人の結びつきを十全に活かして、記録の整備されていないモスクワで謎に迫ってゆくところ。桃太郎にサル・キジ・犬の味方がいたごとく、彼女は謎を追求する仲間を見つけてゆきます。偶然、再会できた旧友カーチャ。生来のしっかり者として志摩の右腕となり、図書館員としてロシアの情報システムに通じている。偶然出会った若い踊り子のナターシャ。バイタリティと、劇場へのコネクション。ナターシャがつれてきた、マリヤ・イワノヴナ。劇場の衣裳係の老女。知恵と経験。「オリガ・モリソヴナ」が伝説の踊り子であった1920年代後半の、ソ連の舞台美術の一瞬のきらめきがよみがえり、ワクワクしました。

そして、人を殺す「強制収容所」というシステムの中で培われた、人と人の間で人を生かす行い。いくつものエピソードが重ねられる中で、最後の最後に。囚人となった女性たちを食い物にしてきたミハイロフスキー大佐が、1つだけ守ったエレオノーラとの約束。それが明らかにされたとき、あまりにもやりきれなくて私は号泣していました。

ある時代の、ある体制下での人と人の営み。1917年から92年のソ連。そこに創造された「オリガ・モリソヴナ」という強烈な個性。生き抜くための反語法。