エリツィン死去。

ロシア初代大統領、ボリス・ニコラエビッチ・エリツィンが4月23日亡くなりました。76歳。

一抹のさびしさを感じます。

私の青春期である89年〜91年はソ連邦がかなりホットな時期でした。西側の人間らしく、ゴルバチョフエリツィンだったらゴルビー支持のワタクシは、エリツィンのことがあまり好きではなかったのですけどね。敬愛する米原万里さんは、その著作の中で「ロシア人はゴルバチョフよりも、酒好きで情に厚い(ある意味典型的なロシア人)エリツィンの方を愛してる」と書いてました。

91年夏。学生だったワタシはソ連に遊びに行きました。仲良くなったロシア人学生さんが「私はエリツィンを支持するわ。だって、民主的な選挙で選ばれた人ですもの」と言いました。

8月のクーデター。エリツィンはロシア「共和国」の最高会議議長で、モスクワ赤の広場でクーに抵抗したのでした。私はそのとき、レニングラードテレビの中の憔悴しきったゴルバチョフを見てたのでした。(ちがうちがう。ゴルビーは見なかった。手がふるえてるヤナーエフをみたんでした)

クー勢力が敗れたのち、モスクワに移動して、赤の広場にロシアの三色旗を掲げたロシア民衆がなだれこむのを見ました。連邦の裂け目からロシアがムクムクと盛り上がってる…と思ったのでした。

12月に入ってすぐ。ロシア「共和国」はベラルーシウクライナとともにソ連邦を離脱。電撃的…にうつりました。「なんだとエリツィン」と思ったものでした。

12月25日、ソ連邦の終焉。私はコタツでみかんをたべながら、ゴルバチョフが「ダスビダーニャ」と言って去ってゆくのをテレビで見たんでした。

その後、ロシア共和国はロシア連邦に移行し。エリツィンは(自動的に)初代大統領になりました。その後、大学を卒業し、社会人となったワタクシは、ロシアへの興味を失いつつあったのですが、93年の議会と大統領の対立や、98年の金融危機のニュースに接し「だいじょうぶかなぁ」と心配したんでした。


99年、後継者にプーチンを指名して、引退。それもどうかと思ったんですよね。

2001年にロシアに遊びにいって、91年の反クーデターで亡くなった方が埋葬された墓地が「ボリスの墓地」って名前がついてたのに、うっひゃーと思ったんでした。

これがワタシの極私的なボリスの思い出です。さよなら、ボリス。

*写真はモスクワタイムスのサイトからパチってきた、昨年5月のメーデーのときのボリス。
かわいい。