【新型コロナ】医療に協力したら医療を守れる

anond.hatelabo.jp

新型コロナで「高齢者をまもるために若者が犠牲になるとは何事か」という言葉を聞くたびに、哀しみと無力感におそわれます。私の父は83歳です。脳梗塞の再発で昨年の12月に、地域の総合病院に入院しました。医師は「大変きびしい状況です。もう、看取りはこの病院になるでしょう」そして私の目をみてきっぱりと「新型コロナのために面会はできません。それでもいいですか?」と聞きました。

つまり、私たち家族が次に父と会えるのは、父が息を引き取る時になります。

そして、さらに言われました。「ご家族と会うための延命処置はしません。人工呼吸器や心臓マッサージはしません。よかったらサインをしてください」

つまり、息を引き取るときに、たとえ呼ばれたとしても間に合わないことがあるということです。

「心臓マッサージをすると、肋骨がぼきぼきと折れます」「人工呼吸器をつけても病気の改善が見込めるわけではありません」そんな風に説明され、サインをしました。

人工呼吸器をつけない、ことは、フォーマットが出来ているので、新型コロナ以前からも高齢者の入院では、最初に求められることなのでしょう。医療費の抑制ということもあるのでしょうが、やはり機材などの「トリアージ」はすでに進んでいるのかもしれない。そのことに対して、仕方がないとは思います。

けれど、やはり父に会いたいです。どうしても会えないか食い下がると、看護師さんにきっぱりとこう言われました。

「小さい子どもの患者さんも、お母さんに会えないんですよ」

ああ、それは。それは仕方がない。私は心にふたをしました。嘘です。泣きながら今これを書いています。

なぜ、看取りまで面会できないことに同意したか。それは、地域の医療をまもるためです。父の入院している病院は、民間の総合病院です。公立の急性期病院の次に大きな病院です。新型コロナウィルスの対応はしていません。

ここが地域医療の砦だからです。新型コロナが流行する以前でも、私の市で救急車を呼ぶと、入院できる病院は、まずすぐには見つかりません。病気や症状にもよるのでしょうが、4件あたってそれでも見つからない時に、公立の病院かこの病院につながります。千葉県の中堅都市の話です。

私自身の話をします。3年ほど前、数年ぶりに職場でてんかんの発作を起こして、発作後も全身が麻痺して動かなかったため、救急車が呼ばれました。救急車はわりと早く来てくれましたが、ガンマ線の治療をした民間病院、他科のカルテのある民間病院、現在父が入院している民間病院、もう1つの民間病院に全て断られました。そしてようやく、公立の急性期病院が「入院をしないのであれば」という条件がだされ受け入れてもらえました。救急の方は、「意識はあるが全身麻痺して動かない」と、退院は様子を見て欲しい、と食い下がってくれました。様子は見るけれど、やはり入院はできない、ベッドがないから、と言われました。

入院し、検査・薬の投与をして約3時間ほど経った頃。体の麻痺がとれてきたので、夜中の2時です、帰宅することになりました。正直、まだ発作がおきそうなぞわぞわ感がしたのですが、「入院はできない」と言われていたので。「もう大丈夫です」と言って、お会計へ向かいました。そして窓口で、お会計をしている時、また。倒れました。

今度は立っていたところから、まっすぐ後ろに倒れたそうです。気が付いたら、ベッドの上でした。ナースステーションのすぐ横にある部屋で、病棟とは少し違うようでした。バターンと大きな音がして飛んでいったよ、と看護師さんが話してくれました。そして、朝、「かかりつけ(都内の大学病院)にすぐ行ってください」と医療情報を渡され、退院しました。

新型コロナが流行る前から、地域の病院は、とくに救急はひっ迫しているんです。そして、新型コロナのクラスタは、本当に簡単に発生します。先月、隣の市の中核となる急性期病院で発生しました。高校でも発生しました。市中感染がどんどん広がり、これまで、市のホームページで発表されていた症例の項目のほとんどが「調査中」となっています。これまでは2日前の行動や感染経路が記載されていました。整理に追われているのでしょう。

 

そして一度、医療の輪っかの中にうまく入れることができたら、日本の医療は手厚いです。

ponjpi.hatenablog.com

たぶん、私は日本に生まれていなかったら、アメリカのような国に生まれていたら、自己破産をしていたでしょう。

10年前の脳腫瘍は、本当に「まさか」のできごとでした。こんな「まさか」のように、誰にでも、病気や怪我になる可能性はあります。そのとき、新型コロナに病床が取られ、それだけでなく、CTなどの検査機器が取られていたら、「当たり前」だった医療が受けられなくなります。

医療は、本来、経済活動と対立するものではないと思います。新型コロナの感染拡大を一刻もしずめることが、経済活動を復活させる一番の手段ではないでしょうか。自粛、自粛はうっとおしいですが、「身の周りの人をまもるため」「自分の地域をまもるため」それがひいては「自分のため」になるんではないかと思います。