歌川豊国の人気

先日、

大江戸の人気者「写楽と豊国 ~役者絵と美人画の流れ~

を見てきました。歌川豊国とその弟子国貞の作品をまとめて見られ、歌川派の調子のノリっぷりがわかって非常に面白かったです。

 展示は豊国以前に活躍した勝川派の役者絵から始まります。

そして、豊国の出世作が登場。1794年正月に出版され人気を博したという「役者舞台之姿絵」です。これを見ると人気が出たのもわかるような気がします。立っている姿が良いのです。顔もハンサムなのです。人気役者を魅力が存分に表れています。

それは同時期に同じ役者を描いた写楽の作品と比較してもわかります。豊国と写楽が描く「三世沢村宗十郎」を比べてみてください。豊国の方が断然イキイキとして人気役者のブロマイドとしては正解、のような気がします。

写楽は写楽でいいと思います。今回は出典数がそんなに多くなかったのですが、絵的なインパクトはやはり写楽の方があるような。出版的には失敗したそうですが、ちゃんとその時代にも写楽のコレクターはいたことが紹介されています。

 

さて、役者絵の分野で人気者となった豊国は、美人画の分野へ進出します。第一人者だった喜多川歌麿が亡くなった後にあいた席をものにしたのです。歌麿の作品も少ないながら出典されていて、豊国の師・豊春を始めとする歌川派の作品と比べることができます。

豊国が初期に描いた美人画歌麿のそれに比べて女性が若々しく、着物の柄や小物が「カワイイ」感じがします。「今やう娘七小町」の着物は、現代の私が見てもカワイかったです。

また同時期の国貞の作品も多数展示されています。背景に描かれた「ギヤマンの船」の置物とか斬新だな、女の子たちも若くてかわいいなぁと思います。

しかし、それも後に「顔デカ、猫背」の艶なスタイルに変わっていくのですが…なんでこうなったwいや、それはそれでいいんですが。

 

舞台の一場面を切り取った役者絵もフリーダムです。おそらくこれまでの絵師と比べて一画面に入ってる要素が圧倒的に多いのではないでしょうか。

国貞の役者絵もまとまって展示されています。高さある芝居の1シーンを縦の3枚続きで表現した「伊賀越乗掛合羽」は才気がキラキラ光ってます。脚本の読み合わせやカツラの打ち合わせなど楽屋裏を描いた「楽屋錦絵」はグッドアイデア、ひいきの役者をお持ちのお嬢さんたちが目を輝かせていたような、そんな気がします。

豊国と国貞が両輪となってバリバリと絵を描き、歌川派の創設期を築き上げていった、そんな勢いを感じました。

 

豊国の後継者に国貞が選ばれなかったことが不思議です。展示の後の方に「二代目豊国」の作品が展示されていますが、どうみても国貞には劣っている…国貞は彼を二代目とは認めず、その後「豊国」を襲名しました。後世、国貞を「三代目豊国」としていますが、納得いかないでしょうねー国貞は。

 

そんなわけで展示は、歌川派の多彩な絵師の作品が紹介されて終わります。

 

豊国が当代の人気者だった理由がわかったような気がします。豊国はポップだったのでしょう。音楽でいうとJ-POPだったのです。だから、海外や現代では当時の人気ほど評価は得ていないのかもしれませんね。

 と、いうことがわかった非常に面白い展覧会でした。展示の解説も読みごたえがあり、作品の背景がよくわかりました。ぜひぜひご覧いただければと思います。