本に読まれて
- 作者: 須賀敦子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/11
- メディア: 文庫
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深く考えないで捨てるように書く
明示的拒絶
http://d.hatena.ne.jp/azumy/20080116/1200453783学校のそばに、当時としてはかなり大きな本屋があった。我々はよくその本屋に立ち寄っては、コミックやら雑誌やら文庫本やらその他の本やらを買って帰った。自宅の近くではなかなか見かけないような本もあったからありがたかった。
そうして本屋に寄って帰るとき、一人だけ、電車に乗った途端に購入した本を読みだす子がいた。一緒に帰る集団は3〜5人くらいで、日によって集団の構成も変わる(部活などの関係で)のだったが、そういう行動をするのはその子一人だけだった。
ワタシがそうでした^^;
小学生の頃、一体どうしたわけか、本を読み出し読みふけり、文字というものが目の中にとびこんでくるような爆発的な感じがあったときがありまして。それは江戸川乱歩全集だったり、世界名作全集だったり、父親が持ってたアダルトな小説だったり(笑)と色々だったのですが。親や先生など大人の目をかすめて、読んだのです。
須賀敦子さんのエッセイ『本に読まれて』の中で(記憶に頼ってるので不確かですが)、須賀さんが母親に「おまえは本を読んでいるのではなく、本に読まれているのだ」と没頭しすぎる様子を戒められているのですが、長じてから、ああ、ワタシも「本に読まれて」いたのだ、と思い当たったのでした。(こんなことの引き合いに出すのがもったいない本です)
大人たちは、外で遊べ、友だちと遊べ、家の手伝いをしろ、授業中は授業を受けろと本からワタシを追い立てました。たぶん、すべきときにすべきことをしろ、ということだったのだと思います。でもできなかった^^;小学6年生のときに、何かで怒った母親がワタシのマンガ本を全部捨ててしまいました。多分、相当なことをしでかしたんでしょうが、当時はよくわからなかった。
中学生になって、人前で本を読むことを多少は我慢するようになりましたが、高校生になって。通学時間ができ、家から離れる時間が長くなると、またぞろ小説やマンガ本を読みふけるようになりました。
友人たちが話したり、遊んだりしている横で、本を読みふけっている。あまつさえ、涙をこぼしたり、笑い声を立てたりする。当時の友人は「そうだったよね〜」と笑いながら話してくれますが、もしかしたら、「なんだこいつ」と思われていたかもしれません。たぶん、その友人は許してくれていたんだと思いますが、というのも実は勝手な思い込みで、客観的にみればその場に居た人を拒絶していたように見えたかもしれません。
でも、笑いさざめく人たちの横で本を読みながら、その空間は時間は、確かに共有していたのでした。安心感があったのでした。
azumyさんのお話を拝読して、胸がちくちく痛みました。おそらく、それは、いい年をしても似たようなふるまいをしていることに思い至ったからだと。周りが優しいか無関心かで、何も言わないだけかもしれない、と。
反省だけならサルでもできる、と誰かに言われたか、言われなかったか…。