11月7日記念。プーチン。

11月7日は、ロシア10月革命の90周年でした。ああ、もう11月も終ってしまう、記念に何か書いておかなくちゃ、と焦って書いています(笑)

実は計画を練ろうとしておりました。冬宮(エルミタージュ)や戦艦オーロラのあるサンクトペテルブルグ(旧レニングラード)へ行くか、モスクワの赤の広場でパレードに参加するか…。でも、仕事が微妙な感じでした。そんなわけで、7月くらいにはさっさと諦め、諦めたまま忘れてました^^;

そして、11月7日が過ぎてから、知人に「大したことは何もなかったね」と言われて気がつくお粗末さ…。アタシの10月革命への情熱はその程度のものだったのか、と落胆するのもちょっぴりシャク。何かネタはないかと旧ソ連からの老舗の新聞「プラウダ」のサイト(英語版)をサーチしてみると。

2007年11月7日の記事は、「師が語るプーチンの柔道」

Putin could have made great career in judo, his first coach says
http://english.pravda.ru/russia/kremlin/07-11-2007/100348-putin_judo-0

1965年、レニングラード。背の低い1人の少年が、格闘技のクラブを訪れた。彼の名はウラジーミル・プーチン。13歳だった…。
「彼はそこらの少年たちと同じで、特に目をひくところは無かった。私のクラブに入ったのは全くの偶然」とプーチンの最初の師となったアナトリー・ラクリンは語る。

と、始まるプーチン少年のエピソード。Anatoly Rakhlin氏は、「ラリン」と読むんですかねぇ、わかりません。

最近、プーチンが人気みたいなので、バリバリ意訳で続けると。プーチンはサンボという格闘技を始めました(これは、旧ソ連赤軍とNKVDのために開発されたものなんだそうです)。で、格闘技の才能を発揮するのは、柔道にスイッチしてから。彼はとてつもない忍耐力あって、戦いの中では予測つかない動きをしたらしいです。投げ技が得意で、右からも左からも投げることができた、と。力に頼る他の少年たちよりも感情的なタイプの選手だったそうです。

プーチンの少年時代にしばし、思いを馳せます。うーん。プーチンも少年だったんですねぇ。

両親は当初クラブ通いを反対します。不良の仲間になるんじゃないかと心配します。でも、この師Rakhlin氏が、説得して、そしてプーチンもより健康になって、ゴーサインが出たんだそうです。プーチン母は、絶対に試合を見に来なかったそうですが…。

負けず嫌いプーチンのエピソード。立ち上がり上手をとった(って柔道でいうのかな…)プーチンは、相手にカウンターを食らってあっさり負けます。2週間後に同じ相手と当たったプーチンは、闘志をむき出しにして2度の投げ技で勝ったのでした。

そして1976年。プーチンレニングラード市の大会で優勝します。2年後、柔道とサンボのスポーツマスターになります(18歳で黒帯になったらしいです)。Rakhlin氏は、プーチンのことを「素晴らしい潜在能力をもっていた、プロのアスリートになるかと思った」と言っています。

プーチンは1975年、KGBに入ったらしいのですが、大会に優勝したりスポーツマスター(名誉なことらしいです)になったり表の顔があったのですね〜。

残りはRakhlin氏とプーチン大統領の強い絆の話なので割愛。

ああ、もう一個、「ロシアの富豪たちの楽しい遊び」の記事を見つけたんですが。。この堕落したブルジョワめ!と怒りたくなるので、リンクだけ貼っておしまい。ああ、革命は遠くなりにけり…。

Wealthy Russians ready to pay big money to put on prostitutes' shoes
http://english.pravda.ru/russia/history/12-11-2007/100676-russians-0

パーティーやスカイダイビングには飽きたのですって。そんで一晩だけホームレスになったり売春婦になったりして遊んでるらしい…。いやーね。