歴史を学ぶこと

よく拝見しているchazukeさんが「「歴史を学ぶ」を、考える、、、、?」という記事を書かれていて、大変興味深かったのです。ワタシは10年ほど前、塾に勤め、私立中学受験用社会科と公立高校受験用社会科を教えていました。お役に立てるかわかりませんが、かつての職業で得た経験などから「小学校社会科としての歴史」について書いてみようと思います。

chazukeさんは社会科歴史の授業で、人物のエピソードを中心とした授業展開、歴史上の人物について自分の意見を表明するというテストの方式を紹介されつつ、次のような疑問を持たれます。(改行を調整させていただきました)

日常茶漬事 絶滅寸前哺乳類の記録
2007/10/08 (月) 「歴史を学ぶ」を、考える、、、、?
http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20071008

織田信長源義経も戦争の奇才であったと、二人とも進取の精神に富んでいた、とそれはそれで正しいことであるんだろうが、そこを「魅力」として大きく取り上げられては「歴史」が「文学」になってしまうような、最近は「ジャンルを外した学び」がいいらしいんだけど、私はどうもね。

下の子に織田信長源義経を比べてどう思ったかを聞くと「二人ともたくさん殺したから最後は殺された」とシンプルな定義が返ってきて、それは東条英機ヒトラーにも当てはまるわな、と

うーん、こんなんでいいのかな、これで「歴史」を学んだことになるのかな。学ぶべきなのはいったい何なんだろう。

「歴史を学ぶとは?学ぶべきこととは何?」という問いは、とても深く、本質的なものだと思います。ここでは、「小学校社会科としての歴史で、何を学ぶべきか」に絞って考えたいと思います。

小学校社会科としての歴史、周りくどい言い方ですね。小学校の社会科は3年生から始まります。3年〜5年で市町村から都道府県、日本全体の地理へと広がり、6年生で時間的な広がり=歴史を学び、3学期に日本の政治と国際社会(=公民)を学びます。

私見ですが、小学校の社会科で学ぶべきことは、自分を基点とした距離的なスケール、時間的なスケール、社会制度的なスケール(これは授業時間が足りないかな〜)を作ることだと思います。スケールというのは定規・物差しみたいなもので、なんとなく三角スケールをイメージしてます。といっても完璧な細かい目盛りのものではなく、おおざっぱ目盛りのもの(ただし順番は正しいもの)を。

小・中学校の教科学習は螺旋式になっていて、同じようなことを繰り返し学習してゆきます。忘れてても、どこかでまたやるので、そこで確かめて目盛りを足してゆけばいいと思います。

歴史上の人物、とは、スケールに貼り付けるシールみたいなものだと思います。表情があった方が印象的です。つまり、学校の先生方は「印象づけるために」さまざまなエピソードを話されるのだと思います。

義経と信長は別の時代を生きました。それも並列的な関係ではなく、積み重なり的な関係です。義経の生きた時代があって、約350年ほどの後に信長の時代があった、ということです。

学習指導要領によると、小学社会科としての教えるべきことがらは次のようになっています。

2内容(1)ウ 源平の戦い,鎌倉(かまくら)幕府の始まり,元との戦い,京都の室町に幕府が置かれたころの代表的な建造物や絵画について調べ,武士による政治が始まったことや室町文化が生まれたことが分かること。
キリスト教の伝来,織田(おだ)・豊臣(とよとみ)の天下統一について調べ,戦国の世が統一されたことが分かること。
小学校学習指導要領 社会
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/003.htm

つまり、義経は「武士による政治が始まったこと」と、信長は「戦国の世が統一されたこと」と関連付けられるようにするのが、小学校社会科的なスケールに乗せること、なんだと思います。

どんなスケールに乗せるかで「歴史的事実」の見え方は変わってきます。そしてスケールは固定化されたものではなく、大人になってからでも内的・外的要因によって変化すると思います。私は、小中学生と接していたときに、たとえ荒い目盛りのスケールでも、普段から彼らが取り出して使えるようにしたいと思ってました。そうしたら次第に目盛りが細かくなって、自分なりのスケールができるだろう、と。

ずいぶん抽象的ですが、とりあえずこんな感じでいかがでしょうか。

小中学校の生徒をお持ちの親御さんは、教科書と学習指導要領をあわせてごらんになると、教育課程での学習ポイントがわかってよいかと思います。お勧めです。