非生産的昔話

すっかりご無沙汰しておりました。

私は富山県高山南高校が社会科の必修科目を他の受験課目に差し替えて授業を行っていたとニュースになるまで世界史が必修科目だと知りませんでした。私が高校生だったのは、今から20年も前の話ですもの。ちなみにその頃は現代社会が必修科目でした。

なぜ、どうして世界史が必修になったのかな…と思って検索しましたところ、id:Mr_Rancelotさんのところでまとめていらっしゃいましたので、謹んで引用させていただきます。

green http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20061025/p1
敬遠される世界史

高等学校世界史は1994年から近現代史を扱う世界史Aと通史を扱う世界史Bに分割され、いずれかが必修となっている。

それ以前は地理、日本史、世界史、政治経済、倫理社会*1が「社会科」とされ、いずれか一科目が必修となっていた。

このうち世界史は他教科と比較して受験の平均点が低く、受験に不利であったため、履修者が減少傾向にあって、高校を卒業したのに基礎的な世界史知識が無い生徒が生み出される弊害が生じていた。

それもあって、国際化の流行に伴って、世界史は必修化されたのだが、平均点が他教科よりも低い傾向は続いている。

やっぱり、受験人気の無さというのは変わらないんですね。大学受験で扱うには世界史は範囲が広すぎると思いますし、世界史A,Bと近現代史と通史を分けたというのは、勉強するときに狙いがはっきりしてよいのかな〜と思います。

高校における社会科って、理系・文系のクラス分けの材料でもあって、理系クラスだとまた別の取り方をするのかもしれませんが、私大文系志望の私は当時こんな選択をしました。
・1年 現代社会(必修)・2年 世界史 ・3年 日本史 政治経済(日本史の近現代史・裏メニュー)
*そして内職をしていたため記憶にないですが、どこかで倫理もとってました。いつだっけ?

2年次に受けた世界史は、先生がとても熱心で、私は目を丸くしながらサマルカンドのティムールの話や、中国の農民反乱と王朝の交代についてなどを聞いていたんでした。

そして何かの拍子に、先生が自分は大英博物館に行ったことがある、と言ったんです。そのとき「そっか、私でも大英博物館に行くことはできるのね」と思ったのです。自転車を30分こいで通っていた公立高校の女学生たる私でも、いつかは、と。

それから、授業中「ここは」と思ったところをリストアップしてゆきました。時代とともに名前が変わる都市。イスタンブール、そしてレニングラード(当時)…。他に興味深かったのがエルサレム、そしてサマルカンド(実は、当時ソ連の版図にあるとは知らず、行ってみて気がつきました・笑)。

もちろん、受験科目として世界史の勉強をしましたけれども、白昼夢のような夢想の世界へ入ってゆけたのもまた、当時の先生の授業のおかげかな…と思うのです。

■ □ ■

では、受験科目でなかった日本史はどうかというと。自分の少ないリソースは、受験科目に回し…と内職し、スルーした形です。ただ、自分が社会科学系の学部に入学してすぐ、基礎知識の無さにがくぜんとしました(1年次から専門科目がとれ、ゼミ形式で行う授業もあったんです)。本を読めば読むほど足りないものが見えてきて、「ああ、高校のときにもっとしっかりやっとくんだった…」と思ったものでした。

広く浅くの知識って、仕事をするときにも有用だと思います。その力をつけられるのが、高校のときなのかな…と(ヤル気さえあれば、いつでも、ですが^^;)。受験という強制力を利用して、無理してでも覚える、という期間は貴重だと思います。

なんて言えるのも、のどもと過ぎてしまったから…(笑)。あ、締め切りとか納期とかはコワイです。

                            • -

久しぶりにはてなに書いたら、とても大変でした。本当は、世界史のタイムマシン&どこでもドア的すばらしさを書き綴りたかったのに(笑)具体的な記憶があいまいで。15歳で高校生だから高校時代って20年前ですよね〜、実は10数年前に塾で社会科を教えてたというのはナイショだ(笑)