外国語

わたしの外国語学習法 (ちくま学芸文庫)
折にふれて読む本があります。『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫)という本です。

著者は25年間に16ヶ国語を身につけたというハンガリー人のロンブ・カトー女史、翻訳はロシア語通訳をされていた(アコガレの)米原万里女史です。この本は「〜式」のような学習法指南の書ではありません。自分の学習が進む(のか進んでないのか・笑)段階に応じて、「あ、なるほど」とうなずく章がみつかる長〜いおつきあいができる本だと思います。また、言葉に関するエッセイ(または論文)としても楽しめます。

私は、過去何度かこの本を開いています。その度に勇気づけられたり、励まされたり、叱られた気になったりします。

あるとき、私は日本の中学生の英語教材を見て、がくぜんとしました。自分が2年も学校に通って勉強していたロシア語(それ以前から独習はしていたのですが)が、中学英語で習う文法項目の枠を超えておらず、それどころか、中学英語の教科書レベルの語彙量もないことに気がついたからです。

私は、微妙にあせりました。そんなとき、例えばこんなくだりが目にとまりました。

アラビア語やロシア語について)
困難な導入部の後に、確実に滑らかな上昇がやってくるのです。
(スペイン語や英語、フランス語について)
最初のうち、われわれは進歩の速さの喜びに捉えられます。しかし、進むほどに、多くの単語やルールを
まだ知らずにいることが明らかになってくるのです。

ここの部分は「文字」につまりラテン文字かそうでないかに焦点をあてているので、一般にどの言語が易しく、どの言語が難しいと言っているのではありません。その言語の特性によって、どの段階が難しく感じられ、どの段階になるとスムーズに進むのか豊富な例を挙げて述べられています。

よく考えてみれば、日本では(それが良いかはともかくとして)中学・高校と6年間授業で週に3時間はふれているわけです。受験英語もあり、大学に行けば専門で外書講読もするでしょう。ゼロから一つの言語を学習しようと考えると、これはとてつもないアドバンテージです。ひきくらべるのが、間違いなわけで(笑)しかも、仕事を持ちながら三十路の手習いで始めた自分と、脳みそのやわらかい中学生とくらべるのがおこがましい(笑)。

と、自分に言い訳するわけですが、ここで手厳しくぴしゃっとやられます。

苦い経験ということにはなりますが、やはり言っておかなければなりません。外国語学習に費やされた時間というものは、それが週単位の、またもっと良いのは一日単位の一定の密度に達しない限り、無駄であったということになります。(中略)
国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10〜12時間なのです。

!!息がとまるかと思いました。そしてため息をつきました。私は、昔から「何時間勉強した」と時間で進度をはかるのが嫌いでした。要は、1時間でも集中して密度が濃ければいいんじゃないか、とも。しかし、悲しいことに、週に1時間では、どんなに集中したとしても、次の1週間では忘れてしまいます。やはり、ある程度、集中した時間を継続することが必要なのだ…というのは、身を持って体験しているだけに、痛いイタイ。

などと、書いているとまるで苦行に立ち向かっているようですが(笑)自分の進度に応じて、目にとまる場所が変わってくるのがこの本の良いところです。

私は、仕事の忙しさに応じてやったりやらなかったり、ある授業をとってみたり…とある意味場当たり的に進めているのですが、肝に命じているのが、「間違ったことは覚えないこと」「語や言い回しはコンテキストの中で覚えること」…「読む」ことに関していえば大意をとらえることは得意ですので、品詞分解や文法事項の確認につとめています。

また、それだけではつまらないな〜と最近思っているので、やっているのは、長い会話がテキストになっているテープの聞き込み(自分で訳して、文法事項の書き込みを施したテキストと一緒に聞きます)をしています。この本で言うところの「型をつくる」で、私は自分で「耳をつくる」といってます。そうすると、不思議なことに、あんなに苦手なスペリングが(以前よりは)マシになってきた気がするのです。

それから、先程読み返して、「本を読む」ことについて書かれた章が目にとまりました。これは独学ではかなり困難がともなうと思います。(なぜなら、正解がないので正確を期すためには、やはり辞書と首っ引きになる必要があります。逐語的に訳す必要はない、むしろ、推測することが不可欠、とのことですが、ページの最初の方は辞書がどうしても必要で…ああ、めんどくさい・笑)

ときどき、ふと「どうしてワタシはこんなことをやっているのだろうか?」と思います。世の中にはもっと楽しいことがあるだろう…とも。そんな時、この本をぱらぱらとめくると、「言葉」に対する関心が再びわきあがってくるのです。