まずはウィーンへ

前回、旅行へ出たのが、2001年8月。久しぶりの旅でして、行く前はそれなりに緊張しました。ただ、心配できる範囲が、飛行機の中ですっごい大きな人が横に座りトイレに行けなくなったら、とか、寝坊して飛行機に遅れる、とかでした。

オーストリア航空で成田からウィーンまで約12時間。その間のトイレ問題は、窓側の席に座るワタシにとって実に大きな問題だったのでした。

睡眠時間・約2時間で成田空港に到着。もうろうとした頭で機内に入り、席をみつけて荷物を整えると。
「あの〜。自分達の席だと思うんですが…」とカップルの方々が。そうでした、あなた方の席でした…と初手から先が思いやられる勘違いをし、ぼろぼろと荷物をかき集めて自分の席に移動。

ワタシの隣の席の人は、水平に大きな人ではなく、おだやかな笑みをたたえる細身の人でした。彼は、濃いグレーのズボンに淡いグレーのシャツ、キャメルのセ−タ−とワタシに似た色あいの服を来てワタシと似たような眼鏡をかけていました。すっきりした顔立ちでしたので、何人なのかな〜と横目でにらみながら推測しました。

食事の際に、どこからいらしたのか尋ね、そこから会話が始まりました。イタリアはボローニャのそばの町からいらしたイタリア人のグィドさん。イタリア人とは驚きました。いやワタシは、紫や赤の派手な服を着てチャオ!コメスターイ、オーノーと無闇に騒ぐようなイメージを持っていたので。

そうですか、ボローニャときくとやはりサッカーの話をしなければなりません。しかし、グィド氏は、「自分は典型的なイタリア人とは違って…そう、フッドボールに関しては違うんですよ」と。日本には市場拡大のため、自社製品のプレゼンテーションに来た、とのこと。自社製品とは、機械関係。しかし、イタリアの機械関係って…てまたも典型的なイメージを頭に描いていると、「いや確かにホンダやマヅダは素晴らしい、しかし我が国にはフェラーリがあることを忘れてはいけませんよ、おじょうさん」とまたもやカウンターパンチ。車の免許を持っていないワタシがあれこれトンチンカンな質問をして、グィドさんが丁寧に答えるといった会話が続き、ゆっくりとビールを2缶開け、ワインを飲み、ウナギを平らげ、そろそろ肝心なトイレ問題に話が移行しました。

ワタシは、世の女性と同じように男性よりもトイレの間隔がみじかい、アナタが寝ているときにエマージェンシー的状況に陥り、不本意ながら叩き起こすといった事態が生じるかもしれない、と言うと、彼はイタリア人的陽気さで、「構わないから叩き起こしてくれ、女性が隣でパニックになっているのは自分の本意ではないから」と。そして、すぐさまトイレに行くように、と丁寧に勧められました。

おなかが一杯になって眠くなったので、ワタシは一言「寝る」といってすとんと寝ました。一時間後、目が覚めるとグィドもぐうぐう寝てました。4時間ほど眠り、見のがした「finding neverland」(ネバーランドを探して)という映画がやっていたので、手元のコントラ−ラーをこねくりまわしていると、グィドも起きだし、すんなりとコントローラーをいじって、「ブリジッドジョーンズ2」を見始めました。さすが、機械関係の技術者です。この不可解なコントローラーを融通無碍にあやつれるとは!
(この機種は、個々の座席に液晶モニタがついていて、プログラムを選べたのです)

グィドの手を借りて、「ネバーランド」を見始めると、高度1万メートルの世界で涙腺がおかしくなったワタシは、ラスト10分から涙がとまらなくなりました。横でグィドがぎょっとしてるのがわかりました。飲み物を勧めに来た客室乗務員さんが、一瞬フリーズしたのもわかりました。しかし、とまらないものは、とまらないのです。モニタの中で、父を亡くし今また母を亡くしたばかりの幼い男の子が、黙って涙をこらえ、そしてカメラがすーっとアップになると、ほろほろっとこぼすのですよ、玉のような涙を。

そんな感じで、1度の食事と2度の軽食の間、友好的に歓談しました。ついでながら、ワタシはイタリア統一の英雄、赤シャツ千人隊を組織したガリバルディに興味を持っていまして、その話をすると、彼は丁寧な解説を加え見てきたように話をしてくれました。まるで「クオレ」の世界みたいだ、と思いました。

12時間のフライトは、良い隣人を得て、思いのほか快適でした。旅は道連れ、世は情け、とはよくいったものです。ウィーン空港の出国審査は、EU圏と非EU圏と分かれていたのですが、先に済んだグィドが待っていてくれて、そして固い握手。国に帰る彼と別れました。