週末、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」を10ン年ぶりに観ました。家の小さいテレビモニタで、3時間近くの大作を観るというのは、どうにもこうにも。途中、眠りに引き込まれそうになりました^^;いやはや。なぜ今「ストーカー」かというと、今週から再開するロシア語の授業で、「タルコフスキーが語るストーカー」がテキストになってるからです。
ということで、話の筋だけでなくロシア語のセリフにもがんばって耳を傾け(いや当然、わかる単語を拾うような聞き方で、1%くらいしかわかりませんでした)カメラアングルなんかも気にして、普段テレビを見るよりも数十倍くらいは集中したのですが…正直つかれました^^;
で、つかれた、ということを言いたいわけでなく、この作品を観て一番強く思ったことは、「これってこんな映画だったの?」ということでした。学生の頃、2回くらい観たと思うのですが、途中眠っている間に2本立ての別のシーンが混入したり、夢を見ていたかで、脳内で勝手に編集されていたようです。いや、もしかしたら見るワタシが変わったのかも…そうそう、この映画は観る人によってまったく解釈が異なる映画かもしれません。ラストシーンをどこで終わらせるか(ワタシとしては、4箇所くらい「ここで終わるのかな?」と思ったところがあったのですが)で、全体の解釈が変わってくると思いました。また、3人の登場人物のうち誰に共感するかによっても違うのだろうなぁ…と思いました。
この映画には入り口が無数に用意されていて、観る人それぞれに違った見方ができるのでは。それって、本人にもわからない望みがかなう「ゾーン」(作家と科学者が「ストーカー」という案内人に連れられ、「ゾーン」に行くという話です)と道具立てが重なる構成ではないか…とも思うのですが。いやはや、鏡をのぞきこむような映画ですねえ、すごいですねえ。
30の手習いでロシア語の勉強を始めたワタシにとっては、ロシア語自体が迷路のようなもので、たぶんまた格闘が始まるのでしょうが、楽しみというか苦しみというか、うーん…

で、ちょっと話は変わりますがNHKに対して怒ってます。テレビのロシア語講座が今年、とってもパワーダウンして、くだらないタレントがはしゃぐばっかの実のない番組になっているのですが、なんと、後期から「アラビア語講座」に枠を譲るのです。いや、アラビア語講座ができること自体は、とても良いことだと思います。ワタシもやってみたいし。でーもー。ロシア語はたぶん視聴者が少ないんだと思うんですが、あからさまに番組づくりに手を抜いて、視聴者が少ないから時間数を減らすというのは、どうかと思います。番組の半分くらいは例文のリピートで、例文応用のスキットは1回長すだけでちゃんと解説しないし、そのほか文化コーナーは昨年の再放送を流すだけで…予算が削られたというウワサを聞きましたが、じゃぁなんで「さとう玉緒」とダニエルなんか出すんだ、と。不満でいっぱいです。
あまりに悔しいから、半年分の例文・応用文・会話文をパーフェクトにマスターしてやるっ。きーっ。