世界?

先日、お酒の席でチェチェンのことを話していたら「世界のとらえかた」についての話になりました。ワタシには、「群盲、象をなでる」ということわざ(?)のイメージがあって。みんなが、それぞれ関心をもったり考えたりすることは全体の一部であって、世界をすみずみまで把握しているわけではなく。でも、それをシェアすることで全体をつなぎあわせられるのでは?といいました。相手の人は、「それをぐーっと引いて全体を見るようなことは、どうなの?」と聞きました。それに対してワタシはちょっと感情的に反発しちゃいました。
引いて見る、というのは聞こえがいいけど、問題を単純化するってことではない?単純化って、自分の都合のいいように単純化できるでしょう。たとえば「世界が100人の村だったら」みたいに。あれだけでわかったようになっちゃ、だめだよ、と。(別にその人は、「世界が100人の村だったら」の信ぼう者ではなかったので、引き合いに出すことはなかったのですが^^;それに「世界〜」を全否定しているわけではありません^^;)
なんというかですね、世の中のことって単純に答えが出るわけではないと思っているのですが、どっかの首相みたいに「一言で」終わらせたり、オリンピックの結果を「感動」の一言でくくってしまうわかりやすさがもてはやされる風潮ってなんだかな…と思うわけなんです。そんなに簡単じゃないだろう、って。単純化してこぼれてしまうものに、大事なことがあるような、気がするんですよね…
その人も、「一番大事な言葉は、現場にある」って言ってました。ワタシも強くそう思います。まずは、そこから積み重ねていくことから始めていったらどうでしょう。。ね。