手術の後は麻酔でぐうぐう寝て…いられなかった話

乳腺外科医のわいせつ事件はあったのか?~検察・弁護側の主張を整理する(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

医師が手術直後の女性患者の胸をなめたなどとして準強制わいせつの罪で逮捕・起訴された事件。

 

この事件、患者女性の主張が突飛すぎるので、これは「術後せん妄」の可能性が高いのでは?と思い事件に関心を持ちました。「術後せん妄」というのは、

手術をきっかけにしておこる精神障害で、手術の後いったん平静になった患者さんが1~3日たってから、急激に錯乱、幻覚、妄想状態をおこし、1週間前後続いて次第に落ち着いていくという特異な経過をとる病態をいいます。

https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/kango/jutsugosenmou.html

 

 

だそうです。もしも、術後せん妄だとすると、患者さんにとっては「実際にあったこと」という認識でしょうし誰にも理解されないと苦しいでしょう。医師側からすると、努力や誇り、キャリアを奪われた形になってしまい惨劇というほかないでしょう。どちら側にとっても本当に不幸なことだと思います。

 

患者さんに対して術後せん妄のケアはどうだったのかな、と思いました。病院によって違いはあるのでしょうが、私が脳腫瘍(髄膜腫)の手術をしたときのことを、記してみます。手術前に丁寧な説明を受けたにも関わらず手術後ってこんな感じでした。

【追記】術後せん妄に思い至ったのは、この時、術後の説明を丁寧に受けていたからだと思います。ちなみに8年前です。

 

 約6cmぐらいの大きさの髄膜腫が、傍矢状洞という脳の真ん中を流れる太い静脈のところにできてしまい、それを除去する手術を受けました。人生初めての手術です。前夜は緊張して眠れないだろう、と思っていたら、別の意味であまり眠れませんでした。

 

というのも、次から次へと先生や看護師さんが病室へやってきたからです。まず夕食後に麻酔医の先生。手術の間、全身状態を管理させてもらいます、と挨拶されました。私はちょっと意味がわからず、「麻酔って酸素マスクみたいなものを口にかぱっとして寝てるだけじゃないんですか?」と聞きました。先生はにこやかに、手術中の血圧などの変化をみて麻酔を調節すること、麻酔が切れた後は、胃があまり活動しないので、胃液を抜く管を入れることなど説明してくれました。そして、「手術が終わったらすぐ目が覚めますからね」と優しく言いました。

【追記】あと喫煙歴を聞かれました。麻酔覚醒後は、胃だけでなく、他の臓器も活動していないそうです。タバコを吸っているひとはリカバリーまで時間がかかり、呼吸がかなり苦しくなるとか。

 

次に看護師さんが来ました。手術後に入る集中治療室(ICU)の看護師さんでした。そして、ICUの部屋の見取り図を書いて、「麻酔から覚醒した後、パニックになる患者さんもいるので説明しますね」と言って、私のベッドや当直医の位置などを教えてくれました。私も高齢の患者さんが点滴の管をぬいてしまうことがある、ことは知っていたので、「そういうこともあるんだな、でも私は若いから大丈夫w」程度にしか聞いていませんでした。不安なことはないか、と聞かれましたが、腰が悪い以外はとくにない、と伝えました。

【追記】術後せん妄は、高齢者の方にはよく説明され、知っている方も多いようですが、私は「若かった」ので、ちゃんと聞いてませんでした。どこに居るかわからずパニくる人はいるようです。

 

そして、手術室の看護師さんが来ました。そして、手術室の場所とICUの場所を説明し、また不安なことはないか聞かれたので、「眼鏡がないと何もみえない」と言いました。「どうせ寝てるだけだし」と考えていたので、そんなことしか思い浮かばなかったのでした。

 

その後、執刀チームの若い医師が、消灯時間を過ぎてから電極をつける位置の髪を刈りに来たり(そして自分が初めて外科手術を受けたときの話をして励ましてくれた)、研修医の先生が翌朝点滴に来るからと挨拶がてら、マジックで点滴の位置を書きに来たりと千客万来。最後、もう11時を回ったところで、主治医に呼び出され、手術の説明を受けたのでした。また不安はないかと聞かれたので、「もう色んな方々に気を使っていただいて十分です。私は寝てるだけなんで、先生がんばってください」とお願いして病室に戻ったのでした。

 

と、調子のいいことを思っていました。本当に丁寧に色々説明してもらえました。でも、手術が終わって麻酔から覚めたら、そんな説明はまるでなかったことのように。「おわりましたよ~」と顔を見に来てくれた先生に、うなずくしかできませんでした。色々聞かれたみたいなんですが、うなずいたことしか覚えていません。鼻から入った管が「オエっ」としちゃうくらい苦しくて、海で波にもまれて塩水を何度も飲んでいるようでした。

 

あとで聞くと手術は13時間ぐらいかかったそうです。あれだけ説明を受けたのに、ICUでは麻酔ですやすや寝ていられる、と思っていたワタシは、予想もつかなかった苦しみに投げ込まれました。頭痛と熱と吐き気で苦しくて、看護師さんに「水が飲みたい」と訴えてばかりいたようです。で、水は飲ませてもらえず、ただ口を湿らすだけ。頭が痛い、鎮痛剤を、と訴えても「時間を空けないと」と言われ、「鬼!悪魔!」とココロの中で呪いました。いや、口に出していたかもしれません。八つ当たりです。

【追記】暴言、吐いてたかもしれませんね。自分ではわかるようでわからない。鎮痛剤は投与するタイミングは事前に決められていて、痛くても足せないとのこと。手術後もしばらく頭が非常に痛くて、しばしば鎮痛剤を求めたのですが、血圧が低すぎて足してもらえませんでした。血圧が低くなりすぎるみたいです。

 

そして、呪詛を吐くように苦しんでいたら、右手右足が動かなくなりました。「うごかない」と看護師さんに言うと当直の先生が慌ててやってきました。状況をあれこれ聞かれても億劫で、答えるのもイヤで黙っていたところ、膝を立てさせられても脱力、右手を上げさせられても脱力、先生は口も聞けなくなったのかと、本当に心配して色々尋ねてくれたのですが、何も答えませんでした。

 

それからしばらく、ウトウトしては目が覚め、ウトウトしては目が覚めを繰り返し、その度に右手の脱力麻痺はすこしずつ良くなっていくようでした。そしてだんだんと気持ちが落ち着き、様子を見に来てくれた看護師さんに「アナタはやさしいのね、さっきの看護師さんはヒドイの、とても意地悪なの」と言ったらしいです。そして「さっきの看護師さん」とその方は同じ人でした。

【追記】これは本当に、同じ看護師さんなのに違う人だと思っていたんですね。朝の看護師さんに同じことを言ったら、「担当が決まっているので、おんなじ人なんですよ~」とのことでした。

 

ようやく、朝が来ました。カーテンが開いて、朝の薄明るい光の中で、看護師さんがはっきりと私の名前を呼びました。名前を呼ばれたことによって、すっと身体から何か邪悪なものが離れていったように感じました。獣から人間に戻ったような、そんな感じです。チームの先生がやってきて、胃の管を抜きました。そこで最後に盛大な「おえっ」をしました。

 

色々な管を処置してもらい、熱や血圧などが問題なかったようなので、病室に戻されることに。そして、朝食が運ばれてきました。小さく切ったサンドイッチと、スープでした。ついさっきまで、水も飲ませてもらえなかったのに!

 

病室に「どうですか、調子は」と主治医がやってきました。私は「サンドイッチなんて食べられません~」と答えました。先生はちょっと慌てて「ここはどこだかわかりますか?生年月日を教えてください」と聞いてきました。私は質問に答えた後、「朝食にサンドイッチが出て、さすがにそれは食べられません」と言いました。先生は「驚かさないでくださいよ」とちょっとほっとしたようでした。

 

その後、手足に若干の麻痺が残り、てんかんが後遺症となったのですが、挙動不審な言動はなかったと思います。だけど、あれだけ丁寧に説明されていたにも関わらず、説明の意図が理解できず、術後に失礼な態度をとってしまったのだなあ、改めて穴があったら入りたいような、「でもどうしようもなかった」と開き直りたいような気持ちになります。

手術から3年経って、予約なしで外来に行った際、あの時の当直の先生の名前があって、「あのときのふてくされた態度を忘れてくれていますように」と思ったのですが。先生は、3年も経っていたのに、「お元気になってよかった、あの時は本当に心配しました」と言ってくださって。私はひたすら小さくなって「その節はありがとうございました」と頭を下げたのでした。